「山の宿命と、そこに適応する植物」

 山岳科学とは、何でしょうか。山の中に存在している原理や秩序を解き明かすことで、山の自然の成り立ちや変動、自然や人間に与える影響が理解できれば、それこそ山岳科学だと私は思います。山が一般的にもつ特徴を二つ挙げます(図)。

 ここで山と言っているのは頂(いただき)から麓(ふもと)までの系のことです。こう考えると、日本の陸域は全て山です。日本の自然や国土は、こうした山の特徴によって規定されていると捉えることもできます。山の特徴の一つ目は、標高によって気候や自然が劇的かつ連続的に変わることです。日本最大の中部山岳地域の麓は温帯の森です。しかし森林限界を抜けて高山帯に出れば、そこは寒帯の北極にも似た自然が広がっていて、しかもこれらの自然は短い距離の中でつながり合っています。山を上り下りすることで、温帯から北極までの極めて多様な自然に触れ、その様々な恵みを一日のうちに手に入れることもできるのです。山の特徴の二つ目は、上から下へ向かう物の流れがあることです。水や栄養分という山の恵みも、洪水や土砂という山の災いも、上から下に流れます。山の自然の連続性をうまく活かすこと、方向性のある物質移動にうまく対処することが、山の恵みを得、災いを避けるための要点になります。  ミヤマハタザオという植物(写真)は、中部山岳地域の0mから3000mまで生息地があり、どこでもきちんと実を結んで子孫を残すことができる標高万能植物です。

 一つ目の山の特徴に依れば、この標高差による生息環境の違いは大変なものです。どうしてそんなところに適応することができるのでしょうか。約30の生息地に調査地を作って何年も追跡調査し、種子を採集して栽培実験することで、その秘密が少しずつ分かって来ました。まず、どれだけ生きるのか、何回繁殖するのかという生き様(これを「生活史」と呼びます)を、標高によって変えています。低地ではほぼ一年草で、一気に成長して夏に大量の種子を播いてから死んでしまうことが多いのに対し、高地では多年草で、少しずつ成長し、何年も生きて種子を作り続けます。こうした生活史変化の少なくとも一部は遺伝的に固定されており、標高に対する進化によって獲得したようです。

 また、高地では有毛遺伝子を持っていて葉に毛が生えているのですが、低地では毛が生えていません。私達は、毛は何かしら高地で役に立つ機能をもっているものの、低地では余分なものになって不利だと考えています。さて、二つ目の山の特徴に依れば、物質は上から下に移動します。ミヤマハタザオの場合、高地の有毛遺伝子が種子にのって低地に運ばれてしまいます。そのため、高地と低地の生息地が川で結ばれていると、低地でも有毛の植物が多く混じるようになります。しかし、有毛遺伝子が壊れるという進化が、色々な川で繰り返し起きており、時間が経つとやがて無毛の植物が増えて行きます。ミヤマハタザオはこのように、二つの山の特徴に規定されながら、適応進化しているのです。