「越えられなかった秩父の深山」

 秩父山地は埼玉県、山梨県、長野県との県境をなす急峻な山々が連なります。関東近郊の方にはアクセスもしやすく、馴染みのある地域ではないかと思います。私は学生の頃、秩父山地に調査で足繫く通ううちに、”木はあの山の稜線を超えられるのだろうか”と思いました。そこで白樺の仲間のウダイカンバという樹種(あまり知られていませんが材価の高い広葉樹です)を対象に、秩父山地の各地点で採取したウダイカンバ集団間の遺伝的類似性と山岳地系の関係について、ウダイカンバのDNAを調べてみました(樹木のDNAについては”山を知る、調べる#1″を参照下さい)。その結果、秩父山地の2000m級の急峻な稜線は、ウダイカンバの花粉あるいは種子が風に乗って飛ばされる際に、稜線があるが故に向こう側に飛べない、すなわち障壁となっていることがわかりました。因みにヨーロッパでは最終氷期最盛期(一番最近の氷河期:約2.1万年前)が終わった後に樹木がイタリア半島からアルプス超えをして北上したかが、以前から議論されていました。ヨーロッパブナなどでは最近の古生態学、遺伝学的研究から、アルプスを直登して稜線は越えなかったが、横から低い標高域に沿って迂回するようにアルプスを越えたことがわかってきました。山岳の稜線は人間社会でも国境、県境になりますが、これは樹木にとっても同じなのかもしれませんね。

写真:秩父山の山並み①
写真:秩父山の山並み①
写真:秩父山の山並み②
写真:秩父山の山並み②
左図A:秩父山地で採取したウダイカンバ17集団の位置。
遺伝解析から、大きく○、☆、★の3グループが検出されました。破線は1500m級の稜線を、太線は2000m級の稜線を示します。
右図B:集団の空間分割を用いた解析から、集団間の遺伝的障壁を調べたところ、○グループ(埼玉県側)、☆(西沢集団)、★(金山沢集団)の間に遺伝的障壁が検出されました(太線)。
これは左図Aで示した2000m級の稜線の位置とよく一致していました。

参考文献

Tsuda Y, Sawada H, Ohsawa T, Nishikawa H, Ide Y (2010) Landscape genetic structure of Betula maximowicziana in the Chichibu mountain range, central Japan. Tree Genetics and Genomes, 6, 377–387.

Magri D, Vendramin GG, Comps B, Dupanloup I, Geburek T, Gömöry D, Latałowa M, Litt T, Paule L, Roure JM, Tantau I, van der Knaap WO, Petit RJ, de Beaulieu JL (2006) A new scenario for the Quaternary history of European beech populations:palaeobotanical evidence and genetic consequences. New Phytologist 171:199–221